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言葉を音ではなく文字としてきたことの問題点

漢文手法で中国語を読んで理解してきたように、英語も同じように扱ってきました。

見て、読んで、単語の意味を思い浮かべ、日本語の語順に訳していくのです。

英語を音声言語として認識するときすら文字と一緒です。

文字を見て声を出す、あるいは、声を出しているときに文字を見る、というようことをやってきていないでしょうか? 英文を目で読みながら声を出して読み、人が読んでいるときにも文字を見ながら追いかけていく、というやり方のことです。

ちょうど携帯に依存する人が携帯の画面に釘付けのように、授業中、英文字に依存して発音を聞いたり、英文字を見ながら発音したりしていることです。

「顔を見て話そうよ!」ということを申しあげているのです。

テキストから離れて、学習そして授業ができていない、という重大問題についてです。

「文字を離れて話すと文法ミスをしそうで心配だ」という方がいらっしゃるかも知れません。

このことは、前に指摘した日本人の完璧性の問題にも関わりますが、たとえば、自転車に乗れるようになりたいときに、補助輪は必要ですが、ずっと補助輪を付けつづけても乗れるようになりません。辞書や文字にぴったりくっついていたら、逆にこぎ出すこと、離陸が難しくなるのです。

また、日本の教育課程では、テストで「英文を訳せ」「和文を訳せ」「文法の誤りは何か」「正しいものはどれか」といった問いに答えられること、つまり、設問に答えられるようになることが、あたかも教育の目的のような結果を生む仕組みになっています。

すると学ぶ側の心理としては、言葉を習得したいという長期目標は持っていたとしても、得点を取るという短期目標に負けて、訳すテクニックを身につけることになります。

そうです。漢文式の「音声認識」ならぬ「文字(記号)認識」です。入試などの場面では、日本語思考を使って行うのが最も速く効率的なやり方です。文法問題も、はたまた、発音問題までもパターン化して覚えようとします。

教師の側も正当数や正当率で「英語」の力を測っていると思っていますが、実は、「英語」に関わるパターン蓄積と正答能力を計測しているだけなのです。

このように、記号、文字に対する反応能力を要請しているわけですから、音に対する能力はなかなか育てられていないのです。実は、このような教育の問題は、英語だけでなく、すべての教科、すべての学問についても言えることなのですが、ここでは、話は広げないことにします。

私たちはこのように、日本語を使って授業を受け、文字を見て理解しようとし、問題を解こうとすることを長年続けていきます。外に出たとき、補助輪(文字)が外されます。それを頼りに学んできたのに、それをはずされたらたまったものではありません。どうしてできるのでしょうか? できなくて当然です。

これまで、このような学習で英語が話せるようにならないことは薄々わかっていたのでしょうが、改善されてきませんでした。

私たちの学習能力は、残念ながら、選抜する試験の方式で決定されていたのです。アクティブに活動する英語脳の能力を測るようにならない限り、そのような人材を育てることも、能力を高めることもできないのが悲しいことです。

このような苦労を何年やっても話せるようにはならないのは非常にもったいない、残念なことではないでしょうか?

しかし、海外(英語圏)に身を置き、自由に話せるようになった方々は現在、非常に多くいらっしゃいます。どこが日本での学習と違ったのでしょうか?

当然、日本語がない環境であることが一番大きなポイントです。つまり、日本語を思い浮かべる間を持てない状態にいることです。

辞書をよく引いたから言葉を学んだのでしょうか? そういう方もいらっしゃるかも知れませんが、たいていはその逆だと考えます。音を聞き判断しなければならない状態になっている、ということです。日本語や英単語が入り込まない状態に置かれている、ということが最大の要因でしょう。

もっと自然な学び方がありそうです。そうです。赤ちゃんの言葉の習得方法からおのずと、答えが分かるのではないでしょうか。

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